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 COLUMN 1−D 1470
                            平成22年12月18日・記

     築水池周辺はスッカリ落葉しました



         

   一番利用する築水池周遊の散歩道はスッカリ落葉しました。

 昨日は早めに散歩に出かけ、しかも逆回りをしましたので同じコースでも目に留まる風景は異なります。

 木々の葉が散歩道に日陰を作ってくれる夏には、「ありがとう」と見上げていました。

 残照が照らし出した木々の枝は幾重にも重なり合って複雑な静脈の様、
 つ込んでいたポケットから手のひらを出し、かざしてみました。

    汗する時期と違い、少しばかり潤いがないかなと独り言。


         

       ↑上記の写真を万華鏡で仕上げてみました。

          思いもよらぬ映像を提供してくれました。

  同じ景色をグルッと一回りすると、このように変化するのでしょう。
 
 今朝届いた神正館蔵板「平成23年・高島暦」を手にして、さて来年はどのような歳(年)周りであろうかと開いてみました。

  明治以来144年、大正以来100年、昭和以来86年とあります。
             「昭和も遠くになりにけり」です。 

     今年もあと13日、やり残しなしにして、新年を迎えたい。




 COLUMN 1−D 1469
                             平成22年12月17日・記

     3代目のパソコンが並びましたが・・・



            


  3台のパソコンが並んでいますが、全てを使いこなすというわけではありません。

 写真の左にあります初代パソコンのキーボードの一つが破損しました、修理代金を問い合わせてみると2万円ほどかかります。プラス送料。

 既に機種が古い為か、ときに送信されてくる添付の文書が開かない事が続いていましたので、息子の勧めを取り入れて新品を購入することとしました。

 2台目の右側のパソコンは携帯用の為、重量は確かに軽いのですが、キーボードの間隔が狭く、隣のキーを押してしまうことがしばしばです。

          やっと慣れ出したところでの3台目です。
    お値段は初代目と比較すると3分の1以下になっています。

 この間のパソコン活用によるインターネット等の普及が如何に爆発的で、一台あたりの製造コストを大幅に引き下げたことを教えてくれます。

 このところ内部告発サイト「ウィキリークス」の情報が世界中で話題となっています。
 パソコン(インターネット)が復旧していなかったなら、これ程までの騒ぎにはならなかったことでしょう。

 私にとってもパソコン(インターネット)がなかったら、情報量はどうなっていたのでしょうか。

 ただし、情報量は増えましたが、其の中からどれを選択、受け入れるかが新たな課題です。

 初代のパソコン内に収納してある情報を新しいパソコンに置き換える作業に四苦八苦しています。

 


 COLUMN 1−D 1468
                             平成22年12月16日・記

     本年最後の忘年会はモロッコ料理


 NPO・日本再生プログラム推進ファーラム(代表理事・藤原直哉)の名古屋のメンバー中心の「たまり場」が開催されました。

 会場は何時ものとおり名古屋駅の北・則武通りのメンバーの事務所でスタートしました。

 モロッコに3年間滞在しておられた彼がモロッコ料理を作ってくれました。

            

            
 
 ↑写真を撮り忘れてしまいましたが、この鍋の上に天井に穴があいている三角のとんがり帽子のような蓋が付きます。

 「タジン鍋」と呼ぶそうで、2年ほど前から人気商品となりホームセンターで販売しているそうです。

 料理の仕方は実にシンプルで、羊の肉の上に各種の野菜を乗せ、2時間ほどとろ火で煮込みます。野菜からの水分がほとんどです。

 指を使いモロッコ・パン(今回はフランスパンでした)で汁をつけと具を挟み込んで食べます。

 昨夜は野菜はジャガイモ、人参、トマトでしたが、ナスも、ピーマンも、玉ねぎでも、キャベツでもOKと思います。

 飲み物は赤ワインが合いそうですが、昨日は日本酒、焼酎、ウイスキーと梅酒でした。

     羊の肉が苦手な方は鶏肉も美味しいということです。
     (モロッコはイスラム教の国、豚肉は避けてください)

     かなり出来上がった所で、恒例の中華レストランです。
      控え目にと思いつつ、紹興酒を2合いただきました。

 昨日から真冬並みの寒気で日中気温も最高で10度以下でしたが、気張らない会話とホカホカと内から温めてくれた料理とお酒で満足して帰宅。

      予定していた忘年会の全てが一応終了しました。





 COLUMN 1−D 1467
                             平成22年12月14日・記

        やっと工事に入りました



          

   ↑寒暖の激しい日が続いていますが、夕焼け空は温かです。

          

        ↑大谷川の崩れた工事がやっと始まりました。

 記憶では確か今夏の大雨の時に堤が崩れました。 通行止めとなっており、迂回して歩いている散歩コースです。

 車の時もこの川に沿った逃げ道の道路を利用していますが、この工事ですれ違いに注意が必要です。

 コンクリートで再び補強していますが、どのようなものでしょうか。

 といって、自然の土手にすると其の何倍もの費用がかかるのでしょうか。
 
 今の時代、若い方の就職先もなく、あるいはリストラで職を失う方もおられます、昭和時代から続いた公共投資はどうかと考えますが、自然に返す公共投資なら如何でしょうか。

     自然に帰った大谷川の散歩道を歩いてみたいものです。

          

  ↑この夕焼け空が違ったものに見るのではないかとも思いますが・・・




 COLUMN 1−D 1466
                             平成22年12月12日・記

      昨日「波動の会・忘年会」

     〜女房殿は3週連続で遠山郷へ〜


         女房殿は12月11日か3週連続で遠山郷へ

 高蔵寺〜名古屋駅〜豊橋ー飯田線ー平岡〜(ここからはお迎えで)遠山郷へ、公共交通機関を使うと4時間半かかろう。

       そこで、名古屋駅発の高速バスを使うという。

 自宅から20分の小牧・桃花台駅までの御送りとなる。 飯田インターまでは1時間15分、そこから迎えに来ていただいており、遠山郷までは1時間。

      トータル2時間35分。 約2時間の節約となる。
 
 12月12日、朝10時入力

 
到着したとも、ありがとうとも何も連絡がなかった。「 NO NEWS IS 
 GOOD NEWS」だろうと思っている間に忘れてしまった。

 本日(12日)、「遠山郷へ行こう!」のブログを見ていると、祭りのお客様用の「おでん」の具・卵の殻を剥いている写真があった。

        夜通しの祭りで今頃は寝込んでいることだろう。

  
  波動の会の忘年会

    
15年続いている会です。  今年の参加者は8名だった。
 
 15年前には全国に同じような会が設立されたが、ここまで続いているのは東海・名古屋のみのようです。 

 会話の内容は制約されず、それぞれが好きな話題、気になるテーマを提起して意見を述べる。
 
 其の事にこれまた参加者がそれぞれの意見、見解が述べられていることがここまで続けられた要因の一つでしょう。

 一人で思い悩んだり、煩悶せずに心おきなく口にできることが時勢がら精神衛生にも良いことなのかとも思っています。

 それにしても15年前に、今日のような世の中の情勢をそれなりに想定し危惧や不満・不信・不安を抱いてていた仲間でした。

 変革の必要性を唱えながらも、今にして思えば、自分自身が問題解決の当事者であるとの思いは薄かったように思います。

 ところがここにきて、其の時が一刻一刻近づいてきていることを実感しつつあり、この15年の間にどれほどの行動をとったかについては互いに反省大です。

 明日にでも突如大きな変革の波が打ち寄せるのか、あるいはここ10数年のようにユックリと可視、不可視の変化が足元を洗うのでしょうか。

 人頼りではなく、自立・主体性をもった考えと行動、そして信頼しあえる友・仲間との輪がこれまでにも増して重要と認識しました。
 


 COLUMN 1−D 1465
                             平成22年12月11日・記

        昨日は出張庭師でした

       〜私にも出た、期末手当〜


       毎年この時期義姉の庭の剪定に行きます。

 10数年前に他界した義兄はゴルフ以外は体を動かすことが得意でないというか書物を読むとか、謡曲とか、習字とかが趣味でした。

 そのためであろうか結婚祝いにいただいた3本の松の手入れは全く気にしていなかった。(共働きであったから時間制約もあったことだろう)

 多分義姉に促されて、門冠り松の枝作りに針金を括りつけたままでしたので、数年後成長した枝が其の所から折れてしまった。

 一番肝心な枝が失われているので、その後どのように姿を整えようとしても何ともならずに今日に至っています。

 切り倒してしまえばとも思っているが、義姉の口から其の言葉が出ない以上、私から言い出せないでいる。 とはいえ、ほったらかしにしておくと見っともないので毎年この時期に出張庭師となります。

 今一つ、この出張に行く動機となるのは、近所に美味しい鰻屋があるからです。

 義姉が病院へ行き留守であったが、どこに何があるかは分かっているので例年通り、松から取り掛かり約3時間半で門冠りを仕上げ、生ビールをいただきながら鰻丼をいただき満足しました。

     
        義姉帰宅。 そこから御注文を伺い仕上げる。

 毎年、残りの松に手を入れようとするが時間ギリギリで鋏剪定で夕闇が迫ることとなる。

  この年代の方は義理固く、「心ばかり」といって毎年封筒を渡される。
 
 「旧札が入っているから・・。どこかで偽札と間違われたから、若い店員さんのところでは使わないように」と一言添えられた。

          例年以上の「心付け」が入っていた。
    12月10日、公務員ではないが、私の期末手当となった。
 


 COLUMN 1−D 1464
                             平成22年12月9日・記

   中部大学で教授、院生、聴講生でコンパ

  〜なかなかお目にかかれない映像を見ながら〜


             


             

      ↑ 教授4名、大学院生2名、聴講生8名のコンパ

 持ち寄りの品々はそれぞれ蘊蓄付だけあってそこいらの居酒屋とは違います。 

  フランスの歴史、文化が専門の教授の部屋が会場です。
 
 今一人食とワインにはうるさいハンガリーで博士号を取得した教授から「それなりのワインを購入してくるように」との指示をいただいており購入担当者は気を使っておられました。

           大学の研究室でのコンパです。

 16世紀のフランス王宮のパーティー会場の映画の一部が紹介され、登場人物の名前や其の役を演じる俳優の名前が飛び交います。

 其の後は19世紀、「平和と戦争」の4部作の映像も披露されました。

 ソ連邦の威信をかけた映画ということで、撮影中に百人を超す死者が出るという映画史上に残る作品と言うことでした。

 確かに、凄まじ場面と、反対に宮殿でのロマンが芽生える豪華なパーティーの場面が次々と展開されました。

 (今この時も世界で可視、不可視の争いが続いています。豪華なパーティーとは異なりささやかなコンパですが、楽しいひと時でした)

 私の飲酒はビールから始まり、日本酒、白ワイン、赤ワイン、再び日本酒と展開し、午後の4時半から午後の9時過ぎまで、昨夜も良くいただきました。

 お送りいただいた方に高蔵寺ニュータウン内・烏洞橋停車場で降ろしていただき、2Kメートル強の道のりを夜の散歩で酔い冷しでした。




 COLUMN 1−D 1463
                             平成22年12月8日・記

   本日は大学で教授、院生、聴講生でコンパ



   特に思考を凝らすのではないが、やっと年賀状の文面決まりました。

 数年前には半年も前に、「今年はこれでいこう」と決めた時もあったが、日記を開いてみると、この数年は12月10日前後のこの頃となっている。

 21世紀に入って10年、年々変化の大きさや内容が昭和とも、平成の10年とも比べ物にならない事に改めて気づかされます。

 何度も書いていますが、見えるところで崩壊が起こり、見えないところで溶解が進んでいると感じないわけにはいかない。

    

    本日は講義を受けている教授の研究室でコンパです。
    参加者はそれぞれに一品も持ち寄ってのコンパです。

 政治の話は抜きという決まりですから、どのような話題が展開されるのでしょうか。

    普段の講義とは異なった話題が教授より出るのでしょうか。
 およそ一回り年齢が上の聴講生も遠慮なく話を持ち出しますので、今回もたのしいひと時に成りそうです。



 COLUMN 1−D 1462
                             平成22年12月6日・記

   今週も遠山郷へ行ってきました。

 12月5日、午前中、塩の道「地蔵峠」を探索      
      午後から熊野神社の祭礼へ


 12月5日、午前9時前の木沢(旧木沢小学校校庭から)

         

  ↑午前9時前、やっと木沢集落の中心部の霧が晴れ始めました。

        

   ↑先週、旧木沢小学校・校門前に、消防車の倉庫が出きまました。
    右の塔は消防のホースを乾かす塔とうかがいましたが・・・・


 塩の道・旧秋葉街道を探索

 前夜、旧木沢小学校で開催の忘年会に参加されていた飯田市の職員の方に、突然旧秋葉街道(塩の道)の探索に行きますが参加されませんかと御誘を受けました。

            

  ↑南信濃・上村・大島河原河川公園・オートキャンプ場に集合
 
 秋葉街道を守る会(?)、大鹿村から、地元上村から等に、午前12時まで参加しする遠山藤原学校スタッフの5名、総勢20人。


        

   ↑午前9時半過ぎに、スタート口の山間に陽が差し込みました。

 探索と紹介しましたが、先週の青崩峠と異なり、踏み固められた道はありませんでした。(微かに、時折往時を忍ばせる道らしきものあり)

            

    ↑木地師の屋敷跡を少し登ると木地師の墓がありました。
             (菊の御紋が彫られています)

          

 ↑数年がかりで、想定路を踏破された方の案内ですが、道らしきものはほとんどありません。 ときどき、道案内用の印・テープを木の枝に縛り付けてゆきます。

         

 ↑標高1000メートルから登り始め、200メートル登った所ではご覧のように雪が残っています。足元は滑ります。先頭の方の足跡が頼りです。

           

        ↑ソラ峠(秋葉古道)を越えて、沢に下りました。
     そこは青崩峠同様に、粘土質で大変崩れやすい土質です。

 塩化カリウム(カルシュウム?)を含んでいると言うことで、鹿がこの泥を舐めに来ていました。

 ここまで約1時間半でしたので、藤原学校のスタッフは引き返しました。
          (他の方たちは4時間半の予定です)

  熊野神社の祭礼
 
 
        


 ↑「気の出る神社」と言うことで、パワースポットして知る人ぞ知る神社。

 本日は祭礼でお化粧をしていますので、賑やかに見えますが、この神社の「霜月祭り」は今回が最後に成るかもしれないという状況です。

           
                     @
            
                      A
            
                      B

 ↑木造の神社の中、土づくりの窯Bで湯がたぎります。(どうなっている)

           A窯の上、6方に据えられた御神柱(?)

           @屋根から吊るされた御飾(?)

         

 ↑遠山川・左岸約70メートルの吊橋が架けられています。河合集落。

      川を挟んで2つの集落が合同で開催しています。
今年の秋の大雨で小道木集落の2軒の家が大被害に見舞われ、開催方法を巡って幾度も会合が持たれたとお聞きしています。 

            

     ↑神社下の大岩にしめ飾りが、来年はどうなるのでしょうか。

          

       ↑数少ない若い衆(と言っても00年代)が・・・・


 前夜(4日)の忘年会は午後の4時から飲み始め、翌日の地蔵峠探索で少しは抜けたと思いきや、その後は再び迎い酒。

    祭りのお呼ばれと相成って、どうなっているのでしょうこの肝臓。

 畑のこと

 
4日、到着と同時に見回りに

 大根の葉だけがありません。何方かだ葉を千切ってくださったのかと近づいてみますと人間様の仕事ではありません。

          どうやら、鹿の仕業のようです。

 5日の朝、再び見回りに

 少しは残っていた大根の葉が全くありません、しかも、白い部分にまで歯型があります。 前日は食べられていなかった白カブの葉も食われています。

 6日の朝、再々度の見回り

 大根は全て抜き取られています。食い散らかしの4本しか残っていません。
 白カブも全て引き抜かれています。 白菜の葉(十分な玉になり切らず)も食べられています。

      チンゲン菜にまで被害が及んでいます。

 と言う状況でしたので、残ったものは全て収獲し、少しづつ持ち帰ることとしました。 (東京からの家族のお客様、残りを全てお持ち帰り)

 何度も書きましたが、今年は余程山には食べる物がないのでしょう。
 
 今回、忘年会で鹿肉の刺身をいただきました。大変美味しかったです。
         回りまわって、いただいているのでしょう。

  (ただし、食べすぎの方は少しばかり、お通じが良くなった様です)
 



 COLUMN 1−D 1461
                             平成22年12月4日・記

   今週も遠山郷へ・熊野神社の霜月まつり

      先週に続き今週も「遠山郷・霜月祭り」へ

 今週は畑に残った野菜の収穫と始末、掘り起こしたままの畝(不耕起の畝)の整備を予定している。

   そして、今年が最後になるかもしれない「熊野神社」の祭りへ。

 
   豊根村の「花まつり」もどのようになっているのかと気にかかる。


       車に持ち寄りの御酒や食べ物を積み込んだ。
      今夜も楽しく・賑やかな時を共通出来ることだろう。




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